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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ(5)モンスター的プロレスコラムその5

2016/10/04

プロレスと関わりだして半世紀近くにもなるといろいろなことがあります。そのすべてに後悔がないといったらうそになりますね。でも今更時間を巻き戻すことはできません。色んな後悔を経てやっと「今ここ」で生きる意味を痛切に感じている今日この頃です。

週刊プロレスの投稿常連会に入ったからと言って、劇的に生活が変わったわけではありませんでした。そもそも狭い世界の中でちょっと名前が知られた程度だし、私が入会した当時は中国地区に私しか会員がいないありさまでしたから、誰かに会おうと思ったら最低でも博多にいかないといけなかったのです。今回はその博多で私がやらかした失敗談のお話をします。

場所は西の聖地博多スターレーン。当時はルチャ(ルチャ・リブレ=メキシコ式プロレス)の聖地と呼ばれていた会場です。目的は日本初のルチャ専門団体として誕生したユニバーサルプロレス(ユニバ)の観戦。ユニバーサルプロレスとは、グラン浜田、マスクマンになる前のウルティモドラゴン、若手だったころの邪道・外道、のちにnWoでセンセーショナルなブームを巻き起こすXパック、若手でしかなかったディック東郷、ザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィン、新崎人生・・・といった今ならオールスター戦でもできそうなメンバーが終結していました。これに本場のルチャドール(メキシコのプロレスラー)が参戦していて非常に豪華なメンバーで、本場のルチャリブレを堪能させてくれた団体です。しかし、この観戦時はそろそろその勢いに陰りが見え始めていました。

全体的にどんよりした感じで終わったこの日の大会終了後、皆で集まって観戦後の食事会をやることになりました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、意外に早く終電の時間が来てしまいました。実はこれまで自分の運転でスターレーンまできていたのですが、このひとつ前の観戦で接触事故をしてしまい、ちょっと自信を失っていたので、この日ははじめて新幹線で新下関から博多に来てました。今でもそうなのですが、新下関行きは22時20分付近が終電なんですね。ちなみにプロレスの大会というのは当時はだいたい早くて20時半くらいに終わってましたから、それほどゆっくりはできなかったのですね。

前置きが長くなったのですが、本題はやっとここからです。実は30年前というのは今ほど博多駅周辺は明るくなくて、駅の方向すらわからない状態でした。余裕で店を出たはずの私は見事に迷ってしまい、うろうろしたあげくぎりぎりで博多駅に到着。ホームで息を切らせながら係員の人に「この列車下関に行きますか?」と尋ねると「行きますよ」との返事。座席についてほっとしたのもつかの間、いきなり電気が消えました。「なんか変だぞ?」とは思ったのですが、まもなく列車は動き出しました。でも様子が変です。まもなくすると乗務員さんが来たので、さきほどのことの顛末を話すと「この列車は回送ですよ」といわれました。

「えええ????」

しかし、私は聞き間違いでもなく確かに言われたとおりに乗っただけです。でも乗務員さんいわく「その人はJRの人間ではない」というだけです。ここで言っておかないといけないのですが、当時は博多南駅がなく、博多駅が最終で回送というパターンは割とよくあったのです。結局座席に座っていても、ということでなんと運転席にいれてもらいました。後にも先にも運転席に入ったのはこれが最初で最後です。そして現・博多南駅の山陽新幹線博多車両所で降ろされ、そこからタクシーで博多駅に戻ってみると、もはや小倉へいく最終も終わっていました。しかたなく精算所で帰りの切符を清算してもらいました。間が悪い時はこんなものなのですが、一泊できるお金ももっていませんでした。当時は24時間引き出せるATMなんてものも存在していませんでしたから、やむ絵をえず自宅の両親に連絡してタクシーで帰るということを伝えました。そりゃもう電話口ではえらい剣幕で怒られましたけどね。

そうしてタクシーで下関へ向かう中、私に同情してくれた運転手さんが途中のサービスエリアで飲み物をおごってくれました。自動販売機で何にしようか物色していたら、隣にとても体格のいい人が並びました。それは大会を終えて車で移動中だったユニバのSATO選手でした。厳鉄
魁というリングネーム時代は素顔でやっていたとはいえ、SATOは覆面レスラーです。プライベートでもあるし、話しかけるのは遠慮しました。SATO選手は様子からするとメキシコ人選手(こっちも当然素顔)からお使いを頼まれていたようで、缶飲料をたくさんかかえて戻っていかれました。

この時のことを2011年になってやっとSATO本人=今のディック東郷選手に伝えることができました。東郷選手は大変驚かれていましたけど、記念写真にもこころよく応じてくれました。ここでやっと私の失敗談は成就したのでした。

この話も当時は毎日のように自分を責め続けていた失敗談でしたが、多くの方に話したり、こうして文章化することでいい思い出にすることができました。長いことプロレスを見ているといろんなことがあります。時には一生ものの後悔もするかもしれません。しかし私のようにいつかはいい思い出にしていくことも可能ではないかと思うのです。

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