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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ(3)モンスター的プロレスコラムその3

2016/10/04

私の中でプロレスがほかの趣味と決定的に違うのは、私にアマチュアでありながら報酬を与えていた時期があったことです。とはいえ、もうかれこれ14〜5年前の話なんで、今のファンの方には何が何やらという話でしょう。実はネットが出てくるまでの端境期に活字が天下を取っていた時代がありました。その頃に知る人ぞ知る集団、週刊プロレス投稿常連会というものが誕生したのでした。

私は週刊プロレスとゴングに関しては創刊号からの読者でした。でも投稿は一切していなかったので、このプロともアマともつかぬ連中がいきなり連載を始めてしまったことにかなり驚いた記憶があります。後に彼らは会名をプレッシャーとします。由来が「プロレス界にプレッシャーを与える存在になる」とかいう大それすぎたもので、これが私とプレッシャーの最初の出会いでした。

そして彼らが書いた文章はやがてページの余白、通称タテオビに毎週掲載されるようになっていきました。今なら検索さえすればそれなりに色んな方の色んな意見を見られる時代ですが、当時はまだまだこうした活字やイラスト投稿でよく目にする常連さんがいて、彼らにひとかたならぬ興味が湧いてきました。しかし、簡単に会ったり、どういう人なのかを知る術はないに等しいものでした。

余談ですが、週刊プロレスから派生した格闘技通信のイラスト常連に、サル・ザ・マンという、それはそれは個性的な絵師さんがいらっしゃいました。実は彼にはついに今年サル・ザ・マンとしてお会いすることができたのですが、当人は「忘れてください!」と冷や汗かいていらしたのが面白かったですね。現在ならデスマッチのカリスマの面しか知らないファンが大半でしょうから、彼がプロレスラーになる前の投稿をほじくり返されるというのは、確かに恥ずかしかったかもしれないですね。あの時はごめんなさい、葛西純選手(笑)でも葛西選手のウィキペディアみたらサル・ザ・マンの項目書いてありますからね。

さて、彼らに興味を抱くだけでは飽き足らずに、だんだん私も自分のプロレス観を表現したくてウズウズしてきました。そこで思い切って入会希望を出してみました。確か1991年か、92年頃の話です。しかし当時はいわゆる活字プロレスが人気絶頂の折で、入会希望者もめちゃくちゃおりました。で、なんと入会試験なんてもんがあったわけです。たぶん入会試験がいるコミュニティって当時ならアルフィーファンクラブが有名でしたけど、まさかプロレスのサークルに入会試験があろうとは!ですよ。

しかし、簡単に入れないことがわかると、捻くれ者の私は完璧にスイッチが入りました。確か何次かの試験があり、それらを突破して、晴れて私は第5期のプレッシャー会員となりました。ちなみに試験というのは本番同様200字のタテオビ投稿を規定数書いて出すという、ただそれだけでしたが、毎週これを続ける大変さを後々思い知ることにもなりました。

とりあえず入会してから半年くらいは様子見してましたが、最初に書いたものが気に入らなくなってからは、急に筆が進み始めました。当時私はカーディーラーの営業マンであり、拘束時間は結構長かったものの、空き時間が結構あったので、その間を利用してひたすら原稿用紙にプロレスへの思いのたけをたたきつけていきました。だいたいほかの人は週2~4作かけたらいいほうでしたが、私は週20本近く毎週投稿してました。当然没の方が圧倒的に多いのですが、その結果年間最多掲載を何回かとるなど、自分が思いもしないところで知名度が上がってしまいました。たぶんこの当時くらいから観戦記めいたものを書き始めてもいたので、いまやっているプロレスに関する文章スキルはだいたいこのあたりで完成されたと思っています。

要はレスラーが基礎トレーニングとして行うヒンズースクワットのようなもので、それを人並み以上にやったことで無駄なスキルをあげてしまったというわけです。ちなみに連載なんで原稿料もでていたのですが、当初は会の運営費として全部プレッシャーに納入されていました。しかし後期は個人にも多少稿料が入っていたので、小遣い銭程度の稼ぎはあったと思います。

まあ、駄文とはいえ、こんな長文を才能だけで苦なく書けるわけではないですし、数重ねて現在があるからこそ、練習の大切さもよく理解しているわけです。何よりイヤイヤやるんじゃ意味ないですからね。楽しくたくさん書くというのが一番大切ですね。

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