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プロレスよありがとう!クレイジーでモンスターな好事家がマニアに捧げるメモリアルブログ(1)モンスター的プロレスコラムその1

2016/10/04

こんにちは。プロレスファンのcocoro.haradaです。このブログは私が大好きなプロレスへの思いをしたためるために作ったものです。

私が始めた趣味は大概自分でみつけて自分ひとりではじめたものが多くあります。アニメ・マンガ・イラストなどなど。しかしプロレスは少し違うんですよね。簡単にいうと亡き祖母の影響がむちゃくちゃあります。祖母はプロレスだけでなくありとあらゆるジャンルのスポーツ観戦をしていました。もちろんテレビでですけど、昭和40年代というのはチャンネルをひねればプロレス、キックボクシング、ボクシング、相撲・・・大概何かのスポーツ中継を毎週見ることができたとても幸せな時代でした。そんな中で出会ったのがプロレスでした。一番古い記憶はヤマハブラザーズと組んだ藤波辰巳(当時10代だったはず)選手の姿でした。

だいたい人に影響されてはじめた趣味というのは相手にあわせてはじめると、自分の中で違和感がでてくる場合があります。友達の話の輪に入りたい、ひとりにされたくない恐怖から話を合わせてしまうパターンが最悪ですね。しかし、影響されることが悪いとはいいません。はじめてみたら案外自分にはあっていた場合もあるからです。私もできるだけ食わず嫌いせず興味をもつようにしています。この姿勢が今のプロレス観戦にはとても役立っている気がしています。

多様化の時代、プロレスもまた例外ではなく、ショーアップされたアメリカンスタイル、妥協なき格闘スタイル、空中戦主体のメキシコスタイル、ありとあらゆる凶器が使用できるデスマッチなどプロレスとひとくちにいいながら、その見せ方は実に様々です。そしてそれぞれに固定のファンがついて熱心に応援しています。私はこの様々なスタイルそのものを楽しむタイプのファンです。好奇心の赴くまま、足を運んでいたらこうなってしまいました(^^)

これもひとえに好奇心の赴くまま、直感を信じて行動したからにほかなりません。色んなものに興味がもてる素地が私に備わっていたことは大変ありがたいことだと感謝しています。こと自分自身に自信がない私が、自分の趣味の中でもプロレスに関する目利きには絶対的に信頼していられていることも大きいと思います。自分の感性が信じられていないと、自分が揺れますし、気持ち的にもシックリきません。

プロレスというのは闘いを見せますが、それだけではない要素がたくさんあります。大きくわけると二つの魅力があると私は考えています。

(1)敗者が時に主役になりえる

(2)予定調和では収まりきれない素晴らしいエンターテインメントである。

(1)の普通ならスポットがあたらない敗者が主役になることもありますし、想定しえない事態もたくさんおきます。

敗者が主役になるのは他のスポーツではなかなかありません。オリンピックは例外として、プロスポーツで敗者がピックアップされることはそうそうないと思います。もし敗者が何も語れないのであれば、それは勝者の側からしかドラマをみていないとも言えます。しかし別な一面からみたら別なドラマがみえる。それがプロレスのいいところでもあります。

私が印象に残っている敗北というとやはり2015年の天龍源一郎引退試合での対オカダカズチカ戦における天龍の姿でしょうか?現役のIGWP王者にして20代の若き新日本の顔でもあるオカダに、65歳の天龍が満身創痍で挑んだこの試合は多くの感動を生みました。正直天龍の全盛期を知る世代でもある私は、現実を受け入れるのが怖くて、ライブでは見ないという選択をしました。しかし後日、テレビで見た引退試合は、それまでの引退試合の常識を覆したものでした。オカダは引退するからといって決して天龍相手に手を抜かなかったし、身体も自由に動かない中で天龍の気迫は最後まで衰えませんでした。形の上では天龍敗北というのは至極当然なのですが、負け方が素晴らしかったのです。心に刺さるものがたくさんあって感動に打ち震えたことを昨日のことのように思い出せます。これをオカダ目線だけでみたらひどくつまらない感想になったと思います。しかしこの試合こそ敗者目線で見てこそ感動が倍加する典型例といっていいでしょう。後に「かっこ悪いことがかっこいいということを教わった」とオカダが述懐したこの試合の後から、オカダの試合に相手に対する敬意がみえるように変化していきました。それもまた面白い現象だったなと思います。

(2)の予定調和では収まりきれないライブスポーツというのはまさにプロレスの魅力の根幹になる部分です。エンターテインメントとしても素晴らしいレベルにあるジャンルです。想定しえないことはやはりライブスポーツである限り、おこりえます。可能な限り事故がないようプロレスラーは普段から厳しいトレーニングを欠かしません。しかしそれでも完璧に不幸な事故を防げるとは限りません。そんな中でリスクを背負いながら闘うプロレスラーの姿に我々は感情を動かされるのです。件の天龍戦では動かない身体を引きずって必死にトレーニングする天龍の姿も映されてました。おそらくそこまでしなくてもよかったのかもしれません。しかしそこまでしてきたからこそ、65歳まで驚異的なファイトを続けてこられたのでしょう。正直それでも衰えという点では全盛期とは比較にならなかったのも事実です。しかし天龍が闘っていたのは全盛期の自分だけでなく、今ここにいる自分とも戦っていたのだと私は思っています。だからこそ動かない身体で延髄斬りも出したし、パワーボムにも挑戦したのです。そこに感動がないわけがありません。これが予定調和なら多分オカダが天龍にある程度花を持たせて終わりです。しかしそうしなかったところが天龍らしいし、散り際としてはこれ以上ないものになったのではないでしょうか?

今回は私が感じるプロレスの魅力をピックアップしてみました。これは私のプロレス観では核になっているものです。もちろんこれと違う核を持つ人もたくさんいると思います。その核になるものが多様であるほどプロレスはさらに面白い見方ができると私は思っています。

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