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[プロレス入場テーマ曲]プロレス的音楽徒然草 Separados

2019/07/21

世界の究極龍

今回は究極龍・ウルティモ・ドラゴン選手の入場テーマ曲「セパラドス」のご紹介です。ウルティモ・ドラゴン選手は、高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受けますが、体が小さいことを理由に不合格となります。

が、その熱意は認められて、山本小鉄さんから道場で練習してもよいと許可をもらい、半年ほど新日本道場に通ったことがあります。その小鉄さんと繋がったことで、来日していたUWAのカルロス・マイネスさんと遭遇し、小鉄さんがUWA側とコンタクトを取り、メキシコに渡りました。

1987年にメキシコに渡ったのちは、1988年7月29日には、当時の最年少記録でUWA世界ウェルター級王座を獲得しています。日本では1990年、ユニバーサル・プロレスリング旗揚げに参加し、エースとして団体を引っ張っています。この時にもうセパラドスを使っていました。

1991年にオファーを受けて9月にEMLL(現:CMLL)に移籍し、覆面レスラー「ウルティモ・ドラゴン」に変身。当時EMLLがWWF(現:WWE)と提携関係にあったことから、日本国内でもWWFと業務提携していたSWSに主戦場を移すことになり、天龍さんとの縁ができます。同じ年の12月にSWSの東京ドーム大会に参戦し、ウルティモ・ドラゴンとして日本初試合を行っています。

1992年のSWS崩壊後はWARに入団し、対新日本との対抗戦にも出場します。かなり遠回りでしたが、同年11月22日、新日本プロレスのIWGPジュニアヘビー級王座を獲得しました。以降、WCWではクルーザー級の立役者のひとりとなり、WWF(WWE)でも活躍。1997年にメキシコ・ナウカルパン市にルチャドール養成学校「ウルティモ・ドラゴン・ジム」を設立、闘龍門の旗揚げ戦を行い、選手の養成にも着手して現在に至っています。

入場テーマを賭けた試合

さて、プロレスラーは時たま髪の毛やマスク、ひどい時は引退までかけて試合することがありますが、今回ご紹介する曲は「負けた方が入場テーマ曲として使用禁止になる」という極めてレアなケースで使われたものです。

その曲とは、ルイス・ミゲルの「セパラドス」。ルイス・ミゲルというのは、1985年、シーナ・イーストンとのデュエット曲でグラミー賞を受賞。以後、メキシコおよびラテンアメリカを代表する歌手となった人で、これまで5回グラミー賞を受賞している歌手です。1988年にメキシコのルイス・ミゲルが発表した8枚目のアルバム「Busca una Mujer」に収録されており、日本国内では、『ロマンセ』以前の日本未発表アルバム収録曲とシングル曲を収めたコンピレーションアルバム『Sentimental』にも収録されてます(これらのアルバムには、北斗晶のテーマ曲「オーロ・デ・レイ」も収録されてます)。

この「セパラドス」を入場テーマに使用していたのが、ウルティモ・ドラゴンとザ・グレート・サスケの2人でした。

破壊力抜群のサスケバージョン

しかし、イントロに「さくらさくら」を足したバージョンの「セパラドス」をサスケが使い始め、しかも自分でセルフ?カバーしてCDまで発売してしまいました。この破壊力たるや、凄まじいもので、さすが公私ともにめちゃくちゃなサスケならではといえる出来事でした。ちなみに今でもこのCD音源は聴くことができますので、怖いもの聞きたさで聞かれてみるのもいいかと思います。

このセパラドスをかけてウルティモ・ドラゴンとサスケはシングルマッチを行いました。1994年7月、WAR両国大会で両者が対戦し、敗れたサスケはこの試合を最後に「セパラドス」の使用を放棄したてます。メキシコ流でいうと「セパラドス・コントラ・セパラドス」といえるでしょう。この結果、めでたく「ウルティモドラゴンの」入場テーマとして定着して現在に至っております。

余談ですが、セパラドスというのは日本語に訳せば「別れ」になりますでしょうか。別れの歌を入場テーマにしている時点で、2人とも相当イカれているのですが、曲調は日本人が想像するような感じではなく、非常に「入場テーマ」向きな曲とも言えます。というかプロレスファンはこの曲の歌詞の意味を考える以前に「プロレスの入場テーマ」として刷り込まれてしまっているせいもあるとは思いますが。

ただ、結婚式とかおめでたい席には不向きな歌かもしれません。同じく失恋をテーマにしたミル・マスカラスのスカイ・ハイ同様、時と場所を選ぶ入場テーマ曲ですね。

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