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[プロレスコラム]プロレス想い出コラム~不死鳥との尽きない想い出の数々(4)

2018/02/27

FMWにまつわる訃報には何処かしら悲劇の匂いがする。若くして病死されたサンボ浅子さん、ザ・グラジエーター、自殺された荒井社長、そしてハヤブサ…。

デスマッチで死人が出てないのは幸いというべきだが、そうでなくても死のイメージがどことなく付き纏っている気が私にはしてならないのである。

他団体でもデスマッチはやるが、FMWほど悲劇の匂いがしない。電流爆破というどこか刹那的なギミックがそう感じさせるのだろうか?「生きるためにやるデスマッチ」というのは旗揚げ当初から大仁田がウリにしてきたテーマである。

ちなみに自傷行為を繰り返す人は、死ぬためにああいう行為を繰り返すのではなく、自分が生きていることを確認するために、傷を作り血を流す。そのメカニズムと、大仁田厚のデスマッチはどこか似ているのだ。そして死ぬ事と生きる事という、相反する矛盾を抱えてもいる。

こういうことを繰り返していたら本当に死んでしまうかもしれないファイトスタイルが、ギリギリのスリルになって本人にも中毒状態でやめられなくなっているのかもしれない。

それはハヤブサのファイトスタイルにもいえて、ハヤブサがハヤブサであろうとしていることは、危険に身をさらし、命と身体を削ることに他ならなかったはずだ。そして、身体が動かなくなれば心を削ってまでハヤブサであろうとしたんだとしたら、これは悲劇とかいうレベルの問題ではない。

削るものがなくなった時点でハヤブサという存在は消えて無くなるしかない。その時に江崎英治に戻ることは、高い使命感を持って全うせんとしていたハヤブサには受け入れがたいものであったのかもしれない。

結果的に病死という形にはなったのだが、おそらく、これ以上江崎英治から削る部分がもうなくなってしまっていたのかもしれない。ハヤブサの悲劇は大仁田厚が身を削り血を流す代償に観客の声援を得ていたのとは対照的に、自分の闘いに見返りを求めなかった点になりはしないだろうか。

見返りのない闘いを強いることは、結局自分を活かさない、自分を大事にしないことにもつながっていく。飛ぶことにアイデンティティを見出し、不死鳥たらんとして気を張り続けてきたハヤブサの闘いはともかく終わりを迎えた。

いまはただ、何も考えずにゆっくり翼を休めてほしいと願うばかりである。もうこれからのお楽しみは気にしなくてもいいから。

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