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[プロレスコラム]プロレス想い出コラム~不死鳥との尽きない想い出の数々(1)

2018/02/27

あれは1990年代だったと思う。FMWで復活を果たしたもと全日本プロレスの大仁田厚が、北九州にくるという。とにもかくにも行こうと決意した。場所は西日本総合展示場。今や新日ですら興行を打たない、かつてのプロレスのメッカ。

しかしあろうことか、その大仁田が手術ののち欠場ということで、エース不在のまま大会は開催された。それが初の邪道体験だったのだが、ここで私はひとつの出会いを果たす。精悍な顔立ちの青年が第一試合で素晴らしい試合をしてくれたのだ。彼の名は江崎英治。正直今でも四方に頭を下げる荒井社長の姿と、華麗に宙を舞う江崎の姿は脳裏に焼き付いている。

当時はインディー対メジャーというのがプロレス界のひとつの対立構造になっており、インディーにはろくな選手がいないという間違った認識をもつプロレスファンも多かったのだが、事実はどっちにも素晴らしい選手はいたわけで、のちのちそれが正しかったことは、スーパーJカップの対ライガー戦で彼が名を挙げ、また馬場さんが彼の実力を認め、全日のマットに上げたことでも証明されている。

その彼、ハヤブサをはじめてみたのは、大仁田の引退興行になった5.5の川崎球場。5月なのに底冷えする寒さに震えながら試合をみていた記憶がある。試合自体はノーロープ有刺鉄線電流爆破地雷デスマッチという長たらしいもので、私にとってはこれがハヤブサのデスマッチを見た最初で最後になった。とはいっても爆風がものすごすぎて後日に映像で振り返ってはじめて試合内容がわかったのだけど。

大仁田時代のFMWはまた破天荒を売りにしていて、しばしば会場側とトラブルを起こしていた。そのせいか、大仁田からハヤブサに政権が移行しても、全国的知名度を誇る割には同じ会場を使うことが少なく、山口県では防府でしか大会を開催していなかった。この会場が「土禁兼ブルーシートなしスリッパなし」というプロレス観戦にはこれ以上ない悪条件が揃った会場だったため、毎年二月に来るFMWの試合は震えながらみていた記憶しかない。

でも、形はどう変われどもやっぱそこにハヤブサがいると安心したし、後期の冬木との一連の抗争はとても楽しく、あれが成功していたならデスマッチとはまた違った形で、FMWが存続していたかもしれない。しかしFMWは空中分解、荒井社長は自殺、そして冬木の病死・・・・最後は2002年のハヤブサの事故・・・・

しかし、ハヤブサは決して絶望しなかった。懸命なリハビリともう一度リングに立つという情熱をもって、生き様でプロレスを見せるようになっていった。車いす生活になっても決め台詞の「お楽しみはこれからだ」をわすれることはなかった。だから2015年夏、ハヤブサを生で見たときは本当にうれしかった。リング下からだったけどしっかりとした言葉で、はっきりと「お楽しみはこれからだ」と言い放ち、この日一番の歓声を集めていた。

そのときはっきり自分の中にあるFMWはハヤブサとイコールだったんだなと思えた。まさかこんな形で訃報をきくなんて、あの時点では思いもしなかったが…。

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