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[プロレスブログ] 200%元気になれる!老害プヲタ・cocoroharadaの発想の転換のすすめ(3)承認欲求とプロレス

2018/04/04

他人からの評判に執着する

今回は承認欲求とプロレスのお話をします。承認欲求とは人間だれもが持っている本能に近いものだと思います。基本的な欲求と同じくらい強いものでしょう。人に認められるということがどれだけ気持ちのいいことか、どれだけ嬉しいことか、誰もに経験のあるところです。しかし、基本的には利己的な欲求の一つといえます。名誉欲にもつながる欲求ですね。

アドラー心理学で有名なアドラーは承認欲求を完全否定していますが、人に認められたいという気持ちの中に、他人を思いやるという要素はありません。そこにあるのは自分の欲求を満たしたいということのみです。ですから利己的だといえるんですね。

承認欲求を持つということは、他人からの評判に執着することです。人は常に人を誤解します。誤解に基づいた評判に執着し、とらわれるならば、現代社会にみられるように激しい競争につながっていきます。競争社会では極めて少数の勝者を除き、だれも幸せにはなりません。人に認められたい、だけでは目立ちたがりとなんら変わりません。

 自己評価をあげて正しく認識

得てして「プロレスをやりたい」側にいく人の中には悪い意味で「目立ちたがり屋」な人も少なからずいます。では、なぜ「目立ちたがり屋」だけでは大成しないのでしょうか?

①自分のしたいことしかしないから
②自分を客観視できないから
③お客さんを自分のものだと思っているから

私はこの3点を理由としてあげたいと思います。①は見せて(魅せて)ナンボのプロレスで、独りよがりは致命傷です。②の客観視ができていればそもそも①も③も起こり得ません。

そしてその③ですが、観客万人が自分の味方だとプレイヤーが錯覚している場合に、顕著です。実際、観客の心は移ろいやすいもいのですし、その承認によって自分の評価が乱高下するようでは、おぼつきません。人に何かを見てもらうためには、まず自己評価をあげて、それを正しく認識しておく必要があるのではないかと私は思います。

目立ちたがり屋と人前に出て何らかの技能を披露する人間は当然違います。もちろんアーティストやプロレスラーはただの目立ちたがり屋だけではつとまりません。

 名仕事人・吉村道明

ひとついい例を紹介しましょう。

日本プロレスという力道山が創設したプロレス団体がありました。ここに吉村道明という名選手がいました。猪木・馬場といった力道山亡き後の後継スターのサポートとして、常に先陣を切る特攻隊長といえばきこえがいいですが、相手にやられてやられていいところで、スター選手にスイッチする役目を担っていました。

しかし、それはしっかりした体つくりと確かな技量がないと不可能なことでした。スター選手を立てるために自分が一歩引いた役割をこなす技量を持つ選手を私は仕事人と呼んでいますが、吉村選手ほど仕事人と呼ぶにふさわしい選手はいないでしょうね。

確かに攻められて一本取られることも少なくなったですが、ダメージを負うことも少なく、常に第一線で戦い続けた名わき役でもありました。吉村選手は回転エビ固めの名手でしたが、この回転エビ固めを日本で初披露した試合(対カール・クライザー=のちのカール・ゴッチ)では、日本人としてはじめてジャーマンスープレックスを食らっています

吉村選手はその受けの強さで、ありえない角度から落とされても、試合後は平然と立ち上がっているのです。これは驚くべきことでした。カール・ゴッチは対日本人ではほぼ無敗を通していますが、全盛期のゴッチに唯一土をつけた選手が吉村道明だったのです。

このことからも実力のある人はどんな位置にいてもいい仕事を残すものなのです。これでケガが多かったら、そもそもこのような危険な役回りは依頼されないでしょう。

 承認欲求などどうでもいい

格闘技を含めた一般スポーツは、プレイヤーを勝者と敗者に分けたがります。勝者は栄光をつかみ、敗者は語ることすら許されません。その厳しさがある意味スポーツの魅力でもあります。

しかし、プロレスは競技であり、勝者と敗者が生まれるにも関わらず、みんなが幸福になるにはどうしたらいいのかを模索できますし、プロレスラーも観客もみんながハッピーになることを求めています。

それを真剣に考えて自分をどうしたらいいのかという結論が出たならば、他人の評判などものともせず、その道を突き進むべきでしょう。それはプロレスラーであろうと、観客であろうと変わりはありません。

誰しもが馬場・猪木を目指していたら面白くありません。時には吉村道明のような選手も必要なのです。名わき役という道をひた走ってプロレス人生を終えた吉村選手の生き様には、私は大いに共感しますね。

プロレスも映画も展開上アンハッピーで終わることも珍しくはありませんが、それでも何らか気持ちや心が動く瞬間を求めて、2度3度と私たちは会場や劇場に足を運びます。

それは一時のアンハッピーよりずっと素晴らしい、ハッピーを知っているからです。瑣末な結末に一喜一憂しない、ゆるぎない信頼と愛情がそこにあるから見続けられるのです。

それに比べると自分だけが幸せならそれでいいという承認欲求などどうでもよかったりするんですよね。

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