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[プロレス映画鑑賞記] レスラー

2019/02/10

09年10月22日鑑賞。

1980年代に人気レスラーだったランディだが、二十数年経った現在はスーパーでアルバイトをしながら辛うじてプロレスを続け、想いを寄せるキャシディに会うためにストリップクラブを訪ねる孤独な日々を送っている。ある日、往年の名勝負と言われたジ・アヤトラー戦の20周年記念試合が決定する。メジャー団体への復帰チャンスと意気揚がるランディだったが、長年のステロイド剤使用が祟り心臓発作を起こし倒れてしまう。現役続行を断念したランディは、長年疎遠であった一人娘のステファニーとの関係を修復し、新しい人生を始める決意をするが、バーで出会った女とセックスとコカインにふけったせいで食事の約束を寝過ごしてしまい、ステファニーに絶縁されてしまう。

スーパーの肉売り場で働き始めたランディであったが、元プロレスラーであることに気付いた客の一人に動揺させられ、スライサーで手を怪我する。やけになったランディは仕事をやめてしまう。家族と仕事を失ったランディは、アヤトラー戦でレスラーに復帰することを決意する。

会場にはランディの体を心配してキャシディが駆けつけたが、リングの中だけが俺の世界だと制止を振り切ってリングに上る・・・(あらすじはwikipediaより)

「激痛」の「痛」

この映画を見る前に本屋で先日なくなったプロレスラー剛竜馬さんの追悼記事が載っている週刊プロレスを読んでいた。剛と親しかった佐藤編集長が記事を書いていたので、むさぼるように読んだ。お嬢さんが妊娠中でおなかの中には剛さんのお孫さんがいたらしい。けがによる治療が十分でなく、敗血症になっていたという。切なくなった。これからみる映画が「レスラー」なのに...

そして観た映画の中身は…想像以上に「痛い」映画だった。「イタい」のではない。それを含めた「激痛」の「痛」なのだ。この映画をみて「感動した」とか「泣いた」とかいっている人たちは、まだどこかでこの主人公ランディの事を他人事としか見ていないと思う。本当に痛いと思った人は、それを通り越して激痛まで感じたはずだ。いや、それ以上に痛みすら麻痺して、それが現実に見ているのかそうでないのかわからなくなってくるのかもしれない。何度となく、胃液が逆流しそうになった。ストレス性胃炎から鬱になった私は、何かものすごいストレスを感じると決まってげっぷが連発して出てくる。それが映画をみている間、何回も起こった。決して流血を見たからとか、えぐいデスマッチを見たからとかそういうのではない。

ランディがスーパーのバックルームから売り場へ出て行くシーン(ここに観客の歓声が被さる)、接客をしているシーン、そこでこみ上げてくるものがいっぱいあった。たまたまこの映画をやっていたシーモール内で、同じ精肉関係のバイトをしていたからか、あるいは、長年のコンビニ業務のストレスを思い出したからなのか、それはわからない。とにかく気分が悪いくらいリアルなのだ。この映画は...

本当にリアルな試合をしている

スーパースターとして脚光を浴びながら、晩年寂しく散ったレスラーの例は枚挙にいとまない。今朝もランディのモデルのひとりとされるハルク・ホーガンが自殺未遂をはかっていたというニュースを聞いたばかりである。

ミッキー.ロークが演じ上げたランディというレスラーは、劇中で本当にリアルな試合をしている。しかも誰のムーブでもない、ランディ.オリジナルのムーブで試合を作っていたのだ。これは特筆に値する。監督がとことんリアルにこだわったという試合シーンは、本物の会場で本物の観客を動員して、本物のレスラー相手に本当の試合をしたという点が大きい。ホーガンをモデルにしたというのは、イスラム系キャラのレスラーと対戦したという設定と、気をつけてみていればほんの少しだけわかる、それらしいムーブでほんの少しだけわかる程度なのだ。これは特筆ものである。

参加したレスラーズが「WWEの80%以上のレスラーより、ミッキーの方が上だ」と証言するほどのできばえなのだ。だから、生観戦している感覚を映画館で味わえる。これは断言してもいい。

そしてまた落ちぶれたミッキー.ロークの人生がそこに重なり合う。だから気味が悪いくらいリアルなのだ。この映画は、だから、観客を選ぶし、多くの観客も選ばないかもしれない。その証拠として、夏に上映されていた小倉でもナイトタイム一回きりの上映だったし、下関でも3週の上映が2週に縮んでしまい、しかも上映回数も減っている。

背中が物言わぬテーマ

実際、メンズデーなのに、観客は私含めて二人だったし。終わってみたら、治療したはずの体がまたきしみ始めていた。イスの座り心地も、見上げるようにしか見られないスクリーンも、昔ながらの映画館なので、2時間見るにはかなりしんどい体勢を強いられたのだ。もしかしたら、この痛みはランディの痛みといってもいいのかもしれない。

私は決してアマレスや、アマチュア.プロレスをやったこともないし、受け身も高校時代の柔道の時間で取ったくらいの経験しかない。だけど、この痛みは満身(心)創痍で心臓病手術をした身内(父)をもつ私にとってはリアルすぎる痛みだった。カメラが執拗にランディの背中ばかりを追っているのだが、それが何度となく父の背中に見えて仕方なかった。特に心臓のバイパス手術の傷跡をぬらさないようにしてシャワーを浴びるシーンなどは、リアルに体験しているだけに、本当に気持ち悪くなった。余談だが、私の父は戦前生まれながら175センチの長身なので、父の背中が小さく感じたという体験は一度もない。だからかもしれないが、父の今でも広い背中が、ランディの背中に被さって見えたのだ。

そう、台詞以上に何度も映し出されるランディの背中が、この映画の物言わぬテーマなのだと思う。コーナーに控えた時の選手が、ただぼーっと立っているかどうかは長年見ていれば背中でわかる。その背中で語れるようになるまでにはかなりの時間を要するのだが、それを3ヶ月で醸し出したというのは、ミッキー.ローク本人の努力や監督の演出もさることながら、やはり実際のミッキーの半生がそれを実現させたのではないかと思う。

あの広い背中は、時に孤独で、時に切なく、時に広大に力強く見える。それはまさにミッキー.ロークがプロレスラーと同化したという何よりの証拠だろう。あそこにいたのは、間違いなく「猫パンチ」と揶揄されたミッキー.ロークだけど、それすら通り超してきた漢の背中だった。

男は黙って背中で語る。これは本物の漢の映画である!決して気持ちのいい感動とかすがすがしい結末がある映画ではない。でもこれはプロレスに興味がなくても、映画好きなら見てほしい一本だと私は思っている。





 

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