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[プロレス観戦記復刻版] 新日本プロレス下関大会観戦記(2000・10・27)

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新日本プロレス下関大会観戦記(2000・10・27 下関市体育館)

イントロダクション

海峡メッセができて以来、ほぼプロレスの興行はメッセで行われるようになって久しい。そこへもってきて久々の体育館興行がきた!正直下関駅前でアクセスもいいメッセと比べると、体育館は駐車場も狭いうえに、バスの便もそれほど多くはない。アクセスだって悪いことこの上ない。

もともと東駅という駅があって、その前に立つ体育館は第二の都心部として機能していたので、昔は下関市の中心地のひとつだったのだ。でも、東駅は地名だけになり、新幹線駅ができた新下関に中心が移っていくと、だんだんさびれていったのだ。

下関市体育館で起こった歴史的事件としては、なんといっても15歳の藤波少年が大分から日本プロレスの巡業を追いかけて、この体育館で入門を果たしたことに尽きる。その時代から全く変わっていない外装は、歴史的建築物ともいえる。

体育館でプロレスがあるときは空いているグラウンドを臨時駐車場にするなどの工夫はしていたが、メッセに比べて箱がでかい分、集客でも苦労する。今回なんで体育館でやることになったのかは定かではないが、せっかくの機会だしいってみた。

第1試合

柴田勝頼 対 井上亘

いきなり照明が消えてしまうと言うハプニング発生!あのW☆INGで行われた月光闇討ちマッチの再来?茨城さんののろいか... ...?まあ、あれはわざと証明を切ったんだけど。

試合は当然、中断せず続行となった!その後何回にもわたってついたり消えたり。二人には気の毒だが、これもプロレスなのだ。まあ、でも新日本がこれやっちゃだめ。インディじゃないんだから。

隣に座っていた飲み屋のおばさんが「学生さんなどはなけなしの小遣いはたいて見に来ているんだから、こういうこと(ついたり消えたり)ではいけない。事前にテスト等しておくべき。」といっていた。至極ごもっともな話。

第2試合

ドクトル・ワグナー・ジュニア&ケンドー・カシン 対 高岩竜一&真壁信也

結局この試合から体育館の水銀灯を併用。だが古いのでつきが遅い...そのうえ、蛍光灯なんで全体的にぼんやりしてみえるのがマイナス。2階から見ている分、少々物足らなかった。個々のがんばりは認めるが、やっぱりしまらない内容に。

第3試合

獣神サンダー・ライガー&エル・サムライ 対 金本浩二&田中稔

この辺から合に集中できそうな感じに。田中稔はプロレスが上手くなった分、リングスや 初期藤原組時代の一撃必殺のすごみを失っているように思えた。金本は膝以外は調子良さそう。若い二人がジュニアのトップの牙城を崩していかないとね。

第4試合

平田淳嗣&.鈴木健三 対 小島聡&ヒロ斎藤

実は特筆すべき事が一つ。 小島がラリアットを最後の一撃まで温存した事。いつも乱発しては自称世界一を自分で地に落としめていたのに...少しは全日本で勉強してきたか...?

第5試合

西村修&木戸修 対 天山広吉&AKIRA

前半数分は天山が西村につきあっての若手時代を彷彿とさせるグラウンドワーク。AKIRAは舞台経験をリングで上手に生かしているか西村は受けに回るとまだ不安があるようで それが観客に伝わってしまったのはマイナス。勝ったけど。

第6試合

中西学&永田裕司&ジョンストン 対 スコット・ノートン&ドン・フライ&スーパーJ

このシリーズのテーマのはずなのに、なぜかセミ扱い。勝敗いかんではマッチメーク権もかかっているのに、過程がみえない全面戦争。あと格闘技に進出するレスラーはたたえられるのに、プロレスに挑む格闘家はなぜか評価が低い。谷津が出て行くだけで誉められるならフライやジョンストンだってもっと評価されてもいいのでは、と思う。別に思い入れはないけど。

第7試合

佐々木健介&飯塚高史&吉江豊 対 蝶野正洋&後藤達俊&小原道由

言うことなし。焦点ボケのメイン。今回の観戦の目的は、ただ単に下関体育館で試合が見たかったという一点のみ。2年ぶりの体育館の空気はやはり格別。まっ平なメッセと違い、立体的にみられるのがいいのだ。

帰りに車のワイパーに挟まった11月の大阪プロ大会のチラシを見て、ふと営業マン時代に自分も同じような事をしていたなと思いつつ、帰路に就いた。

後記

ちなみに今のところ、これが下関市体育館で開催された最後のプロレス興行になります。21世紀になった今もなお建物は昔のまま現存しています。

2000年には、全日本と新日本の対抗戦が行われています。ノア勢の大量離脱が発端ですが、新日本の選手が「出張」する形で、全日本にも参戦するようになりました。

この中において小川に負けて一度は引退した橋本が復帰するのですが、フロント、長州との関係の悪化から、社内独立し「新日本プロレスリングZERO」を設立。ですが、11月には解雇となり、翌年ZERO-ONE旗揚げという流れになっていきます。

引退前は現役復帰を完全否定していたにもかかわらず、大仁田さんの参戦・挑発に乗る形で2000年7月に長州が現役復帰しています。しかしこの時猪木さんの発言権が再び強まっていた時期でもあり、当時長州政権の庇護のもとにあった佐々木健介選手は、2001年にIWGP王者に返り咲くも、藤田和之に敗れ、総合路線もパッとせず、結局同年10月に新日本を退団しています(のちにWJに合流)。

2002年には武藤・小島・カシンが新日を離脱し、全日本プロレスへ移籍。この責任を取る形で長州力も退団。2003年にWJを旗揚げします。

そしてこののち、格闘技におされた新日本プロレスは長い冬の時代に入っていくのです。

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