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[プロレス観戦記復刻版] 「特別編」1984年5月18日金曜日、第二回IWGP公式リーグ戦。広島県立体育館

2020/05/29

前書き

プロレス観戦記を書く習慣がなかった時代の大会で、今でも記憶に残るものがいくつかあります。得てして人の記憶は時を経るごとに曖昧になっていきますので、今のうちに記録に残しておきたいと思い、暇暇みながら書き連ねたのがこの記事です。今回は…

「1984年5月18日金曜日、第二回IWGP公式リーグ戦。広島県立体育館」

私が18歳の時に初めて生観戦した大会です。では本編をどうぞ。

この日はワールドプロレスリングで生中継されるのだが、バイト代を使ってリングサイドをとって観戦。コンサートやライブは一人で行っていたけど、プロレスは初めて。

緊張しつつ中に入ると、サンドバッグを蹴る音が聞こえてきた。見るとこの日腕の怪我で欠場が発表された高田信彦(延彦)が黙々と蹴りの練習をしていた。リングサイドでは若手を中心にウォーミングアップの最中。みると実況の古舘アナと山本小鉄さんが確認できた。2人とも思ったよりでかい。

私の席は通路側の一番端。つまり選手が入場する真横。見えやすいようなそうでないような席。さすが新日本だけあって、会場のムードがピリピリしている。なんか緊張感につた感じがするのは、ライブとは違う空気を感じる。

 対戦カード(数字は試合順、何分何本勝負)

1.15/1 ×山田恵一対〇新倉史祐(10分46秒ジャーマンスープレックスホールド)

この試合は広島出身の山田にとって凱旋試合。年齢は18歳だそうだから、私と同い歳。背は高くないが、キビキビした動きはアマレス仕込みらしい。テレビでは映らない試合だけど「闘い」が伝わる感じ。

先輩の新倉は高田らと出世争いで凌ぎを削る未来のスター候補。一度確かテレビ中継にも出ていたはず。きれいなジャーマンスープレックスの使い手という印象。

試合はそのジャーマンで新倉が山田をピンフォール。

[解説]

第2回ヤングライオン杯で優勝する山田恵一は、この頃から藤原道場(藤原喜明を主体とした試合前の練習)に参加。後に骨法などを取得し、同じヤングライオンである船木と熱戦を展開。イギリス遠征を経て「リバプールの風」になってからは、超有名マスクマンレスラーになります。

2.20/1 ×小杉俊二&保永昇男 対 寺西勇&〇クロネコ(ブラック・キャット)(15分51秒片エビ固め)

先に維新軍入りした寺西は、クロネコとのタッグ。標的だったタイガーマスクの引退に加え、かつての同胞ラッシャー木村のUWF移籍で、宙に浮いた印象がある。

一方、やはり高田世代で上を目指す保永はパンフにも取り上げられていた期待の成長株。若手の小杉も山本小鉄二世と呼ばれる風貌が印象的。

[解説]

試合内容は覚えていないです。比較的あっさり目だったと思います。ユニットという概念がない時代なんで、上の方の選手はまだしも、普通に正規軍側と維新軍側の選手が組むカードは見られました。

3.30/1 ×小林邦明対〇ビッグ・ジョン・クイン(10分15秒片エビ固め)

こちらもタイガーマスク引退で標的を失った虎ハンターが2メートル強のスーパーヘビー級選手であるビッグ・ジョン・クインとのシングルマッチ。階級が分かれているとはいえ、基本的に無差別級が主流であるプロレスらしいカード。

両者が向かいあった時のインパクトは試合内容を凌駕していたと言ってもいい。小林もジュニアといえど決して小さい選手ではないが、クインの前に立つと圧倒的に小さくみえる。

スピードで撹乱する小林も最後はクインのパワーの前に屈したが、体格差を生かした攻撃は魅力的。

[解説]

藤波さんや初代タイガーの活躍でジュニアヘビーという概念が浸透したばかりの時代。まだまだこうした無差別級カードはアンダーカードの常連でした。現在のプロレスでも形を変えて存在している

後に小林邦昭さんは「こうしたカードを通して体格差のある相手の攻略法を学んだ」と語っています。

4.30/1 木戸修対永源遙→木戸修対ケン・パテラ(5分28秒片エビ固め)

[解説]

これはカード変更で永源さんからケン・パテラに対戦相手が変更になっています。まだUWFに合流する前の木戸さんは、いわゆるUスタイルではなく、普通に地味な中堅選手でした。ケン・パテラは84年4月6日にウィスコンシン州で起こした器物損に端を発する警官暴行の罪で、約2年間に渡って服役することになりますが、この事件でマサ斎藤さんが巻き添えを食って、服役するはめになったきっかけを作った人物です。

72年のミュンヘンオリンピックではウエイトリフティングの米国代表だったのですが、肩書はともかくプロレスでは大成しなかった選手です。

5.30/1 △オットー.ワンツ対△ビッグ・ジョン・スタッド(5分28秒両者リングアウト)

[解説]

これはIWGP公式戦だったはずですが、いわゆるテレビ枠ではなかったと記憶しています。ワンツはヨーロッパ代表でしたが、細かい技を駆使するタイプではなかったですね。横に大きいワンツと縦に大きいスタッドとのぶつかり合いだけが印象に残っています。

6.30/1 坂口征二&木村健吾&×藤原喜明 対 〇マサ斉藤&アニマル浜口&谷津嘉章(12分07秒片エビ固め)

維新軍対正規軍の全面対決。

このあたりから入場テーマ曲がかかり出す。入場テーマのあるなしで選手の格がわかるというのも皮肉な話。私の横は基本正規軍サイドの入場に使われていて、一目入場を見ようとする観客で、おしくらまんじゅう状態。

そんな群衆の中にあっても、正規軍の三選手は頭一つ突き抜けてでかい。中でも雪の札幌で長州力を襲撃して、いちやく時の人になった藤原喜明は、正規軍サイドにとって貴重な戦力として、維新軍征伐に駆り出されていた。

[解説]

道場最強説が唱えられていた藤原喜明組長(当時はまだ組長とはよばれてないです)は、木戸さん同様前座の実力者でしたが、私が見に行ったタイミングでは、すでにテロリストとして名をあげたスター選手でした。

関節技の鬼として名を轟かせるのは、この後木戸さんや高田さん、山崎さんと共に第1次UWFに合流してから、になります。

ちなみに決まり手はマサさんのバックドロップだったはずですが、後年組長の試合を解説していたマサさんが「藤原は投げられるのが苦手」と評していました。言われてみると、組長はU以降、投げられる前に関節を決めてしまうスタイルになったので、あながち的外れでもないのでしょうね。

7.45/1 〇ハルク.ホーガン&マスクド.スーパースター 対 ディック.マードック&×アドリアン.アドニス(10分37秒体固め)

AWAからWWFに移籍してすっかりニューヨーカー的雰囲気を身につけたハルク・ホーガン。一番ポーズをきめると会場大熱狂。

[解説]

当時の新日本外国人トップ勢が一堂に会した豪華なタッグマッチ。マードック&アドニスは当時の新日本にあって貴重なタッグ屋として活躍するも、アドニスのWWF行きにより、一時的にチームは解消されます(後に、アドニスが新日本に復帰後、またタッグを組みます)。

マードックがシングルプレイヤーとして、対UWFなどで名を挙げるのは、第1次UWF崩壊後になりますから、まだ数年あとですね。解説の山本小鉄さんが「マードックはムラっけがあって、これさえなければチャンピオンになれる器」としきりに言っていたのが忘れられません。

「人の半分でも練習すればすぐ一流になれる」とこぼしていたという高野俊二(拳磁)にしても、実力があるのに開花しない選手に対しては、なんか歯痒さを感じてらしたんでしょうね。

8.60/1 ×藤波辰巳対〇アンドレ.ザ.ジャイアント(2分57秒体固め)

アンドレの登場はとにかく規格外。花道ではなく、客席をかき分けて登場する様はまさにモーゼの十戒のよう。その大きさは頭一つどころではない。

対する藤波はジュニアからヘビー転向を果たし、長州力との名勝負数え歌がドル箱カードになっている今が旬の選手。

最初はアンドレの巨体になすすべない藤波だったが、途中でアンドレの両腕がロープに絡まり、藤波に大ドラゴンコール。しかし最後は危機を脱した大巨人に圧殺されてしまった。

[解説]

この時代のアンドレは全盛期よりやや下り坂とはいえ、まだトップで闘えるスキルがありました。気難し屋の側面はありましたが、仕事に関しては優秀なプロでした。

対戦相手が自分より小さい場合、「ロープに絡まる」場面を作って相手のターンを作り、見せ場を与えた上で、最後は勝つというのが、80年代のアンドレの試合パターンでした。

まさに、アントニオ猪木さんが提唱していた「風車の理論」を実践していたのが、この時代のアンドレだったと私は考えています。

9.60/1 〇アントニオ猪木対×長州力(16分48秒逆さ抑え込み)

[解説]

IWGP公式戦の最大の目玉にして、天王山と目された闘い。セコンドには維新軍も総出でつき、物々しい雰囲気になっていました。

パワーホールには大長州コール。炎のファイターには大猪木コールがおこり、広島県立体育館のボルテージは最高潮に!

個人的には8割猪木コールだった印象があります。第一回IWGPリーグ戦決勝で、猪木さんが優勝を逃したこともあり、「今年こそは!」という期待が高まっていたからだ、と推察されます。最もあの舌出し事件の裏に人間不信になるような出来事があったなどとは、私を含めた当時のファンが知るよしもありませんでした。

試合中、通路にパイプ椅子をもった大きな人影がいて、私がそっちを向くと、なんとさきほどアンドレと激闘を繰り広げた藤波さんがいるではないですか!藤波さんはそのまま私の隣で観戦をはじめたのです。当然リーグ戦上では猪木さんも長州さんもライバルですから、敵情視察という意味もあったのでしょう。テレビで映されたかどうかは定かではありませんでしたが、この時代のワールドプロレスリングは金曜夜八時の生放送だったため、おそらく本当に敵情視察だったと思われます。

はじめての観戦で横に藤波さんが来るというのは想像もしてなかったですからね。10代の私からしたら心臓バクバクですよ。ちなみに七歳の時にテレビに映っていた藤波さんとヤマハブラザーズが組んだ試合が、私の一番古いプロレスの記憶になるので、その人が隣にいるというのは私の中では大事件だったのです。これが初の中観戦では一番のサプライズでした。

ちなみに30年後、この話を思い切って藤波さんにお話したことがあります。当然、私のことは憶えていないのですが、この試合を通路でみていたことは憶えてらして「あれから30年たつんだねえ」といって握手とサインをしてくださいました。

この第二回IWGPの後猪木さんのカリスマ性にはだんだん翳りがみえてきます。加えてUだけでなく、維新軍も新日を離脱し、一気に「冬の時代」を迎えてしまいます。が、この試合は長州さんが落日のギリギリ前にいた猪木さんと戦っていることで、価値があったと私は思っています。

まさかこの時は最終戦で「あんなこと」がおきるなんて夢にも思っていませんでしたが・・・・結果的には第二回のIWGPを制したことで、猪木さんのカリスマ度は逆にだんだんなくなっていったので、のちに長州さんが勝った試合について、私的には「落日の闘魂に勝ってもなあ」という気持ちもありました。

なお、この試合は長州さんのロープ越しのブレンバスターを猪木さんが切り返しての逆さ押さえ込みという流れが失敗、 直後にもう一度逆さ抑え込みにトライした猪木さんがフォール勝ちしています。

[総括]

広島県立体育館での観戦はこれ一度きりで、大学卒業後に体育館跡に新築された広島グリーンアリーナでも一度観戦をしています。余談ですが、なぜか広島(グリーンアリーナとサンプラザ)で見たメインは、どっちも藤波さんがチャンピオンとして防衛戦を行っています。広島での観戦はどれも思い出があるのですが、やはり初の生観戦に勝るものはなかったですねえ。

ちなみに猪木さんにとって広島県立体育館というのは鬼門だったともいわれています。あまりタイトルマッチでの戦績もよくなくて、試合内容もぱっとしなかったというのがその根拠ですが、一方で藤波さんにとっては、対長州力名勝負数え歌で最初に火が付いたのがこの広島県立でしたから、逆にゲンのいい会場だったのかもしれないですね。

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