プロレス想い出回想録・さよならの友よ③幻のプロレス夜話
豪華な忘年会
西日本忘年会は結局、本当にアステカ選手と当時付き人をしていた川内大裕選手をはじめ、フィニッシュホールドの番組自体も協力してくれるという、かなり大掛かりなものになった。
ローカルの夜明け
プロレスの歴史としては1992年にみちのくプロレスが発足し、97年にはプロレスリング華☆激が旗揚げ……と、日本各地にローカルインディが生まれ始めた時代だった。要するに、東京や大阪では見ることができない、地方ならではのプロレスが産声を上げ始めたタイミングだったのだ。
ちなみに、お店やプレッシャー会員のお世話などはメディコさんが大半をやってくださった記憶がある。
心優しい若手選手
私がこの会で印象に残っているのは、一次会が閉会し、お店の玄関口で集合写真を撮るとなった時、1人残った川内選手が後片付けを手伝おうとされていたことだった。いくら当時若手の付き人だったとはいえ、ゲストとしてご招待している方に後片付けをやらせるわけにはいかない。
川内選手には写真撮影に混ざるようにお願いし、無事集合写真も撮影でき、二次会、三次会と盛り上がって、一生忘れられない1日になった。
玄海選手との再会
ちなみに、後年九州プロレスの玄海として、プロレス居酒屋がむしゃらで再会した際、思い切ってこの忘年会の話をしたら、覚えてくれていた。あまりに懐かしくて話し込んでしまい、他の玄海ファンから怒られてしまったが、選手にとっても得難い体験だったとしたら、やった甲斐があったな、と思えるのだ。
眩しいプロレス愛
さて、メディコさんの登場で、長年の念願だった下関や山口県で大会後に会員が集まるという「お楽しみ」が加わって、ひと大会ごとに楽しみが増えてきた。
今でも忘れられないのは、2000年10月27日に開催された新日本プロレス下関大会「GET A RIGHT!! BLACK vs G-EGGS」という大会。記憶違いでなければ、この時メディコさんは当時中学生だったお子さんを連れて観に来られていた。
自分を含めてだいたい周りには独身者しかいなかったので、趣味も楽しんできちんと子育てもされているメディコさんが、とても眩しく見えた記憶がある。
暗闇のハプニング
余談だが、この大会は新日本が旧・下関市体育館で行った最後の大会であり、しかも前半戦で体育館のブレーカーが落ちてしまい、さながら月光闇討ちデスマッチの様相を呈してしまったいわく付きの大会でもあったのだ。
メディコさんは、非常に几帳面な方で、観にいかれた大会の試合結果はその場で記録されている方だった。もしその記録が荼毘に付されてしまったのなら仕方ないが、下関市周辺に渡るプロレス興行の記録として価値があったに違いない。
抹殺された幻の戦い
実はこの大会の前半……つまりブレーカーが落ちて「月光闇討ち」になった部分は、公式記録としても存在していない。しかし、生観戦している人間はゴングが鳴って試合が始まっているのは確認できている。
したがって電気が消えたからと言って、試合がそこで終わったわけでもなく、レフェリーが何らかの形で決着をつけたわけでもない。生前メディコさんに問い合わせてみたけれど、やはり2000年10月27日の前半は記録されていなかった。
結局、前半の試合は「事故」ということで、歴史上からは抹殺されてしまったと考えるのが正解なのかもしれない。

にほんブログ村
